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活躍時期:江戸時代末期
幕末、日本には多くの外国船が来航するようになった。嘉永六年(1853)七月十六日、ロシアのプチャーチン艦隊が長崎へ来航した騒ぎがあった。佐賀藩の支藩・蓮池藩は、長崎の動静を秘密裏に調べるため、古賀源太夫に諜報活動をさせた。蓮池藩の『請役所日記』によると、安政二年(1855)正月に源太夫は火術方、同年六月には御作事方の職にある蓮池藩士だった。安政二年(1855)七月、源太夫は二度目の命令を受けて、長崎へ派遣されている。
デザインについて:
御忍印には、長崎で湾内に浮かぶ外国船を写しとる古賀源太夫の姿が描かれています。藩主に子細を伝える密命であれば、隠れるように船を写生したというイメージです。源太夫が書いたものではありませんが徴古館(佐賀県佐賀市)には、長崎港外の遠見番所から克明に描かれた外国船が208隻以上描かれた貴重な古文書『白帆注進外国船出入注進』が所蔵されています。(書籍『そろそろ本当の忍者の話をしよう』より)
頒布日/2022年3月5日
頒布/うれしの温泉忍者フェスタ (佐賀県嬉野市)
絵/一本松。