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活躍時期:江戸時代初期
寛永十四年十月(1637)に起きた「島原・天草一揆(島原の乱)」。一揆側が約2万7千人で、廃城になっていた 原城(長崎県南島原市)に立て篭り、幕府軍との籠城戦となった。一揆鎮圧のために九州の大名のみならず全国の藩からも参戦し、幕府軍は翌年には12万人の大軍勢となった。
佐賀藩の鍋島勝茂率いる鍋島軍も幕府軍として参戦した。『勝茂公譜考補 七』(「佐賀県近世資料」第1編第2巻)によると、この戦いで佐賀藩の忍者が活躍した記録が残る。寛永十四年十二月二十四日の夜、鍋島中務(鍋島嵩就(たかなり))の家臣 吉田千左衛門が、原城の中の様子を窺い見てくるために、密かに松山(大江口)の土手内に忍び入ったという記述がある。また、吉田千左衛門は侵入する際、味方の矢を射るのをしばらく止めて欲しいと言い、その間に千左衛門は満ち潮で潮が逆流し水位が上がった川を渡って潜入に成功している。そして敵兵を一人生捕りにして陣へ戻った。千左衛門は幕府の上使・板倉重昌の元へ送られ、重昌に城内の様子を細かく聞かれた。そうして、千左衛門は鍋島直澄から白銀の褒賞を与えられている。
デザインについて:
満潮によって水かさが増した川を渡り、敵の原城へ忍び入ろうとする吉田千左衛門が描かれています。
頒布日/2022年3月5日
頒布/うれしの温泉忍者フェスタ
絵/一本松。